日本のゲイ向けイベントには様々なスタイルがありますが、中でも大きく3種類の人たちがイベントの盛り上げ役として活躍します。クラブミュージックの選曲・編成をするディスクジョッキー(DJ)、肉体的なダンスでエロティシズムを掻き立てるGOGOボーイ、そして美しく妖艶な姿とトークで魅了し笑いを誘うドラァッグクイーン(DQ)と呼ばれる人たちです。
その中でもドラァッグクイーンは様々なイベントで活躍しています。エンターテインメントとしての要素が強く、例えば「PINKHOUSE X(ピンクハウスエクスタシー)」や「女装紅白歌合戦」などのイベントが人気です。
そこで今回は日本のドラァッグクイーンの歴史やゲイイベントとの関係について紹介していきます。(表紙写真:ドラァッグクイーンの写真集「QueenPalette」より)
日本のドラァッグクイーンの始まり
ドラァグクイーンの起源は、男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるための手段や、ゲイが考える”理想の女性像”を目指した結果、大げさに女性らしさを表現する衣装やメイクで過剰な女性像を演出したことが始まりとされています。トランスジェンダーが異なる性になる・異なる性として認識される一方で、ドラァッグクイーンは「女性のパロディ化」や「女性の性になって遊ぶ」という要素が含まれているとされています。
日本文化とドラァッグクイーンの融合
もともと日本には芸事で男性が女役を演じ披露する伝統がありました。歌舞伎の女形に見られるように、女性らしさや美しく品のある立ち居振る舞いを芸として昇華させる土壌が根付いていたといえます。このように女装し演じる文化が浸透していたためか、現代の芸能においても女装したタレントがメディアで受け入れられ、幅広く活躍をしています。
近年のドラァッグクイーンの変遷
1980年代、日本がバブル経済が絶頂期を迎えクラブやディスコが盛況を博します。同じ時期にゲイクラブでも同様の盛り上がりを見せるようになりました。そんな中でクラブイベントをより盛り上げる役割としてドラァッグクイーンが登場するようになります。
1990年代になると海外へ活躍の場を広げる人たちや、芸能ネタや女性歌手をパロディにして楽しむような人たちなど、ドラァッグクイーンの形がより多様化・洗練化していきます。
2000年台に入るとオネエキャラと呼ばれるタレントが、各メディアで活躍の場を広げていくようになります。加えてLGBTQと呼ばれる性の多様性を認める活動が日本でも活発化していき、ゲイパレードでもドラァッグクイーンが一般の人の目に触れるようになってきました。このような流れからドラァッグクイーンが世間一般の人たちにも認知・浸透していったのです。
言われてみれば、アニメキャラのコスプレをしたりロリータ衣装を身にまとい楽しんだりすることは「自分の理想の姿を目指す」という意味では同じなのかもしれません。ドラァッグクイーンが活躍しているという事実が、様々な性や性的志向、社会的に認知される性だけではなく表現の自由を受け入れる土台自体が昔よりも形成されてきているとも言えるかもしれませんね。
今できることと、これからの挑戦
そして現在、2020年から新型コロナウイルスの出現で、様々な表現の場に制限がかけられるようになりました。イベントやクラブなどで活躍していたドラァッグクイーンも、自粛を余儀なくされ新たな活躍を場を模索するようになります。
このような状況下、活躍の場の一つの挑戦が写真集の刊行でした。普段ドラァッグクイーンが生活している「自粛中の環境」と「女装」が交わる世界観を表現している一冊です。ドラァッグクイーンの表現の場を確保しながら、少しでも自粛中のモヤモヤした気持ちが晴れるように、との願いも込められています。
またイベントで彼女たちのファンキーでキュートな姿を見て楽しむためにも、様々な活動を応援して次につなげていきたいですね。
参考文献
1.写真集「QueenPalette」
Photographer:YUSUKE ARAI
Cast:マーガレット
TEMANDA
Ms.POSEIDON
アマゾネス・ダイアン
オナンスペルマーメイド
L
Cerestia Grown
(順不同)