あるゲイバーの開店から閉店まで~「渋谷ケイヴィ」

令和元年5月末日。

渋谷にあった、1件のゲイバーが惜しまれながらも閉店しました。お店の名前はkéivi!(渋谷ケイヴィ)。私自身も学生時代何度か訪れたお店です。 (当時のお店の内装はこちら→ )今回、閉店後のお店を訪れる機会をいただき、渋谷ケイヴィの歴史からお店に対するコダワリ、店主であるトシさん自身のホンネや今後のことなどざっくばらんにお話をいただきました。

1.お店をオープンするまでのエトセトラ

トシさんのタイムライン「 【シンボルマスコット】あと41日 」より/サンフランシスコのギャラリーで非売品を購入。

最初はケイヴィではなかったお店の名前

店主であるトシさんがお店を開く準備を始めたのは1999年3月末。当時47歳。いわゆる脱サラで最初はノリで始めたのだそう。そして開店したのは、1999年9月9日(平成11年)でした。

開店準備のための5か月間で検討した店名はLUXIA。L(lively:生気にあふれにぎやかな)U(unique:滑稽の・めったにない・1つじゃない・注目すべき)X(黄色の・黄色人種の)I(interior:精神的な・内面的な)A(amenity:快適さ・心地よさ・丁寧な行為)という、なんだか色々なコダワリを詰め込んだ印象を受けます。

そして、オープン告知用のチラシまで用意したあと、渋谷近くに似た名前のゲイバー「LUX」があるからということで、同じコンセプトは踏襲しながらも、店名を「明るい隠れ家」→「cave(ほら穴)」→「keɪvíː(その発音記号)」→ケイヴィにするに至りました。

5か月間かけた開店前のコンセプトと戦略

人と同じことはしたくない。

今となっては渋谷のゲイバーといえば「渋谷ケイヴィ」が有名になりましたが、なぜ新宿ではなく渋谷にオープンしたのでしょう。話を聞いていくと、店主トシさんのこだわるコンセプトと戦略が見えてきました。

1999年当時、ゲイバーは新橋にも多くあったそうです、企業戦士と当時呼ばれたサラリーマン(今でいうビジネスパーソンですね)が集い、トシさんもサラリーマンとして新橋のゲイバーでよく呑んで遊んでいたそうです。

渋谷では「LAX」「プラム」「風神(神泉辺り)」というお店が点在していて新宿や新橋と比べるとゲイ関連のお店は少なかったそう。そして若い人が集まるようなバーが皆無でした。そこでトシさんは「渋谷を広げたい」「若い人が集まる明るい居場所を作りたい」という想いから渋谷にオープンすることを決意。ノリという言葉とは裏腹に「人と同じことはしたくない」という意思のこもった戦略でした。

明るい店内と奇抜な設計

若い人の最大の武器は、当たり前ですが見た目。そして最もいろいろな感度が高い時期でもあります。だからこそお客さんどうし、スタッフとお客さんどうしがハッキリ見えるように店内照明を明るくしています。開店当初、店内はコンセプトカラーの一つである黄色を基調としていたそうです。これも店内を明るく見せるための工夫でした。

そして店内のクネクネ曲がったカウンター。それだけみるとアート作品にもみえなくもない形は、設計・施工する側にとってみればかなりの手間でした。それもこれも若い人をターゲットにした「感度にマッチ」させる工夫だったのです。

店舗設計の際に利用した店内の模型

選べる楽しさとリーズナブルさ

店舗を運営する以上、採算を取らないと経営できません。一方でターゲットである若者には若さはあれど、お金はそう持ち合わせていないことがほとんど。そこで考案されたのが選べる5つのお通しでした。「くだもの」「かわき」「チョコ」「チーズ」「きまぐれ」。“バーはお酒を飲むところ”という固定観念にとらわれず、お酒が飲めなくても楽しめる(呑み好きじゃない人のターゲットを広げる)工夫が見て取れます。特に「くだもの」は他の食材と一緒に下北沢のお店で仕入れてからお店で準備します。選べる楽しさとひと手間かけた工夫。同じゲイバーの価格帯と比べると原価率は上がるものの満足感で若い人の心をつかんだようです。

余談ですが「くだもの」はカットする手間もあって開店後も作業することも。それを来店したお客さんが見るとつい食べたくなって注文するため、すぐに売り切れたそうです。

店内を飾るインテリア

訪れるたびに奇抜なインテリアが目を引く店内。インテリアのうち季節ごとに代わるレイアウトは感性の高い若い人のために配されたものです。そんな季節のレイアウトは7種類。

このあたりは、トシさん好きなモノやコダワリも見て取れます。

5か月をかけて練り上げたお店のコンセプトと戦略。
そして陽の気が最も高い「9」が5つもある、1999年9月9日渋谷ケイヴィはオープンします。オープン後もコンセプトと戦略はブレません。その一方でお客さんやスタッフを通じて変わっていくものもありました。

2.お店を開店してからのエトセトラ

お店の運営を通じて変わらなかったもの

こだわり続ける渋谷という場所

ケイヴィに訪れると帰る際にもらえるのがスタンプカード。スタンプを集めるとドリンクサービスがあったり、特定の日にサービスがあったりというもの。その中でこだわったのが地図を必ず入れること。必ず渋谷近辺の地図を掲載していて「渋谷にも遊べる場所があるよ」ということを伝えているようでした。

スタッフの選定基準

ケイヴィではスタッフはトシさんが一本釣りしてお店に入っています。選定基準は、「イケメン過ぎないこと」「トシさんがいいなと感じること」「眉毛をいじっていないこと」。要は“普段どこにでもいる、ちょっといいなと思える男の子”をスタッフに引き入れるというルールでした。
スタッフがカウンターに入るとお客さん対スタッフの環境が作られ、スタッフの印象が2割増しになるのだとか。なのであまりイケメンすぎない(話しかけやすい)スタッフを入れているのだと話していました。

つかず離れず~店主の接客

ゲイバーの魅力の一つが、新しい人とのリアルな出会い。そんなきっかけを作るにあたって、トシさんは接客にもルールを決めていました。ひとつは隣に座って「いいな」と思った隣同士そっと後押しすること。具体的にはトシさんが少し間に入って、連絡先交換を薦めてあげて、あとはお客さん同士で楽しんでもらうようにしているそうです。話しかけるキッカケだけを作りそれ以上は干渉しません。お客さん同士が自然に会話できるように。
若い人から見ると、ゲイバーというのは結構なハードルです。特にカミングアウトも公にしておらずそれでも勇気を出してお店に入ったのに、一言も話せなかったという経験をする人もいたようです。そんな苦い想いをケイヴィでは経験させたくなかったんでしょうね。

お店の運営を通じて変わっていったもの

トシさんのタイムライン「【あふれる文字】あと17日」より

スタッフの選定基準が生んだシフト

前述で、スタッフは店主であるトシさんが一本釣りするという手法を取っていました。その結果、困ったことも生じます。「ゲイバーを運営したい!」という人が意思をもって応募するのではなく一本釣りでスカウトするため、多くのスタッフが片手間(アルバイト感覚)で仕事をします。片手間なのでなかなか仕事を覚えない。「昨日教えたでしょ」という小言を毎日言うのがストレスだったトシさんは同じスタッフに毎日会わないよう、各スタッフのシフトを週1にすることにしました。結果的にスタッフは日替わりになり、特定のスタッフを求めてくるお客さんも出てきたそう。今では当たり前のゲイバーのスタッフシフトはトシさんのストレス軽減方法から生まれたのでした。

店主の休暇

もともとケイヴィの定休日は日曜でした。お店を続けていくうちに、お客さんから「日曜はやらないの?」という声が増えてきたこと、日曜に都合の良いスタッフが手配できること(学生など)から、お店の定休日を月1日にしたそう。
一方で、お客さんからは「トシさん今日いないの?」と求められ、スタッフのほうは片手間仕事なので接客に不安が生じ、結果的にトシさんがほぼ毎日お店に出ることに。その結果店主の休暇も月1日になったとのこと。
ケイヴィが開店してから閉店するまで7205日でしたが、7000日弱はトシさんがケイヴィに居てくれた計算になります。

店主の好きが増えていく店内

今となっては開店当時とは比較にならないほど色々なモノが敷き詰められた渋谷ケイヴィの店内。トシさんが旅行やイベントで好きなものを買うたびにちりばめたらこうなったのだとか。買うもののテーマは「ニューヨーカーがアジア各国に出かけて買ったお土産」。こうしておもちゃ箱のような一見カオスのような現在の渋谷ケイヴィが作られていきました。
お客さんへのサービスだけではなく、自分にとっての「心地よい」空間を作ることは、お店を営む上でトシさん自身のモチベーションを維持していくために必要だったのかもしれません。

3.お店を閉店するに至ったエトセトラ

ノリで始めたお店は3年で閉める予定だった

店主であるトシさんがお店を開いたの47歳のとき。3年後の50歳になったらお店を閉めるくらいのノリで開いたケイヴィ。ところが転機が起こったのが50歳の誕生日。当時お客さんで目黒雅叙園で働いている人がいて、誕生日パーティー&お店の3周年パーティーをデヴィ夫人も使った会場で開催してくれたそうです。ここまで盛大に開いてくれてお店を閉めるとも言えない雰囲気になったトシさん、もう少し続けるという結論に至ったそうです。

次の転機は60歳になるとき。新しいことをしてみたいなと思った矢先、今度は帝国ホテルで90人(全員LGBT!)を集めた還暦祝い&13周年のシークレットパーティーに招待されます。トシさん、そこでも帝国ホテルの歴史上初であろう参加者90名全員がLGBTのパーティーでの雰囲気と期待に押され、ケイヴィを続けることになるのでした。

時代は変わる、【時は加速する】

そして19年の月日が流れていきました。トシさん自身ももうしばらくすると70歳を迎えるなと思い始めた2019年初めのころ、「これって、自分が本当にやりたかったことだっけ?」という想いが強くなっていきます。そして平成から令和へ。世紀末・ミレニアム直前に始めたお店を区切るキッカケとなりました。2019年春、自分で決めた閉店日2ヶ月前の4月2日(4月1日だとエイプリルフールだと茶化されそうなので)、LINEのタイムラインに閉店の意思を告げたのです。

その後、閉店までの約2か月にわたりLINEのタイムラインには、今までのことを振り返るようにトシさんの言葉で渋谷ケイヴィがつづられていました。

そして2019年5月末日、最終営業日。約150人のお客さんががお店を訪れ店外の階段にまで溢れかえったそうです。

私がケイヴィを訪れたのはそんなお祭り騒ぎの閉店後、約2週間たったある夜でした。

4.クローズ後。これからのエトセトラ

ケイヴィのこれから

お店はさぞかし片付け真っ最中かと思いきや、まだ全然片付いていません。どうしたのでしょう。
聞くと、知り合いの人がケイヴィという会場で作品を作りたいと言うことと、8月から別の店主がこの場所で新しいお店を開くそうでのんびり片付けていいといわれていることが理由のようでした。
新しいお店の詳細はお伺いしていませんが、新店主からはどうしてもこの場所でお店を開きたい、できるだけ今の形を残したいという強い要望があったそうです。店主が変わっても形を変えて続いていく、そんな閉店のケースもあるんだなぁ、と人と人とのつながりに素直に驚きと感銘を受けました。

トシさんのこれから

さて、トシさんはというと、今は某芸術系の大学の学生だそうです。もともと好きだった旅行で訪れる美術館や歴史的建造物。その背景を何も知らないで見てきたことを後悔していたみたいで美術史や歴史メインに学んでいるとのこと。それを通じて学芸員の資格も取りたいそうです。
そんな学生生活の中で知り合った人がケイヴィのお店の中で作品を作りたいと言ってきて、片付かない店内が今もありました。どんな作品になるか想像がつきませんが、縁があればJoointに掲載できればと思います。

ノリで始めたケイヴィ、ノリで始める学生生活。今も昔もトシさんの「まずは動いてみよう」という行動原理は変わりありませんでした。これからもトシさんとケイヴィは形を変えて続いていきます。

あとがきにかえて

渋谷ケイヴィは、私が初めてゲイ関連のサイト掲載(GayLifeDaily)で店舗取材にお伺いさせてもらったお店でした。慣れないアポ電話で緊張する中トシさんは柔和に協力的に対応してくれたことを今でもよく覚えています。今回の取材についても、私自身半分ノリでLINEしたものをしっかりと丁寧に対応してくれて逆に準備どうしようと少し焦りました。

取材後改めて、トシさんのLINEのタイムラインを見ていると、こんなくだりがありました。

「あと2か月ほどの月日を、みなさまとの繋がりを確認する機会とさせていただきます。」
(2019年4月2日トシさんのLINEのタイムライン「【時は加速する】閉店のおしらせ」より抜粋。)

偶然にも6月にオープンした新サイトJoointのコンセプトは「つながり」でした。この原稿を書くのも何か必然性があったのかもしれません。

約20年間お店を続け締めくくったお祝い以上に、これからのトシさんの生き方・進む道へのエールも込めて本記事を上程いたします。

担当:瀬山康樹